大内宿を後にして会津若松に向かいました。
会津に来て白虎隊をスルーする事は出来ません。
そこで初めはその舞台の中心にある鶴ヶ城を訪れました。

鶴ヶ城

天正18年(1590)に造られた天守閣を昭和40年に復元した物です。

まずは軽く歴史のおさらいです。

黒船来航
ペリー提督率いるアメリカ艦隊が浦賀に来航し開国を迫りました。幕府はびびりまくって日米和親条約を結び、下田と函館の2港を開港しました。
国内で大論争
思いっきり不平等な条約を結んだ幕府を倒すべきだとする討幕派と、あくまで幕府を支えるべきだとする佐幕派とに分かれました。
会津藩主・松平容保(たかもり)の決断
譜代大名だった会津藩主・松平容保(まつだいらたかもり)は京都守護職となり、新撰組とともに倒幕派の動きを弾圧しました。
長州征伐、鳥羽・伏見の戦いなどに敗れると、倒幕派に白旗を揚げる事になりました。
戊辰戦争が勃発
しかし東日本に多かった佐幕派は、越後藩や会津藩などを中心に奥羽越列藩同盟を作り最後の抵抗を試みました。
これが戊辰戦争です。
白虎隊の悲劇
会津藩で戊辰戦争のために集められた16~17歳の少年兵約340名が白虎隊です。
そのうちの20名が飯森山に立てこもり、黒煙に巻かれる鶴ヶ城を見て落城した物と思い全員が切腹しました。

天守閣から飯森山を探しました

天守閣から飯森山を探してみました。

飯森山から鶴ヶ城を見ています

今度は飯森山から天守閣を眺めてみます。
直線距離にしておよそ3km。春霞のせいでくっきりとは見えませんが、肉眼でも天守閣を確認できます。

白虎隊士の墓

白虎隊士の墓です。
墓石は19名ぶんです。

1名ぶん足りませんが……

確かに切腹したのは20名でした。力のある物は自力で切腹しましたが、そうでないものはお互いを切り合ったり、刀を地面に突き刺して覆いかぶさったり……考えるだけでも悲しいものですけど、そのうち奇跡的に息を吹き返した兵士が1名だけいたそうです。
武士道とは……いろんな事を考えさせられました。

御薬園

飯森山の次に向かったのが「御薬園」 江戸時代中期に築造、歴代藩主の保養所として使われました。
園内には400種類の薬用植物があるとの事だったので見学しましたが、まだ3月です。……何も咲いていません。^^;

標本

これを見て納得する事にしました。

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